カテゴリー
未分類

証拠に基づく政策決定(EBPM)

■証拠に基づく政策決定

証拠に基づく政策決定」とは、最近、行政学の分野で注目されている意思決定プロセスである。Evidence-Based policy Makingの頭文字をとって「EBPM」と表記される。

内閣府が定義するところでは、「政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすること」という。政策効果の測定に重要な関連を持つ情報や統計等のデータを活用したEBPMの推進は、政策の有効性を高め、国民の行政への信頼確保に資するものである。

注目しているのは実務のみではない。森田朗の『現代の行政』、曽我謙悟の『行政法』、放送大学大学院テキストの御厨貴『公共政策』などでも積極的な評価とともに言及されている。

■EBPMとOBPM

これと対比されるのが、内閣府のいうところの「その場限りのエピソードに頼った政策決定」だろう。このような意思決定方式をEBPMと対比するなら、「意見に基づく政策決定(OBPM)」などということもあるようだ(小高新吾,2021,40P)。ちなみに「O」はOpinionだ。

では、「エピソード」「意見」とは何か。
この例の1つは報道だろう。例えば「道路の不具合を放置していたため高齢者が亡くなった」「バスに置き去りにされた幼児が亡くなった」。その他、自治体であれば地元紙が書くローカルなニュース、課題がある。このような報道を引き合いに出し、一事が万事である如く「ほら、こんな問題があるのだから、速やかに対策しなければならないでしょ」という論法で政策が制度化されていくことがある。こういうエピソードは大変痛ましい。それゆえに、エピソードが議論の対象になると反論することが(感情的には)難しい。

次に、報道でなくて、自治体のローカルエピソードとして「市内の○○という団体が補助金の対象とならず団体の維持ができない」といったものから制度見直しの方向性を決めることすらある。ここで「同じように困っている団体がどれだけあるのか」「そもそも補助金の趣旨は現在でも有効なのか」という議論を経ずに制度見直しが始まる場合がある。タチが悪い。エピソードに着目した政策決定は、報道のインパクトだったり、報道から展開して醸成された世論だったり、悪くすれば、ローカルの利害関係者や立案に携わる職員の声の大きさに影響を受けることさえある。

無論。報道されるくらいだから、個々のエピソードは大変に痛ましいものであるし、対策が必要なものである。しかし、報道機関が常に「相対的に最も重要な事案」を報道している訳ではない。社会的反響と客観的な重要性が正比例している訳ではない。つまり、旧態依然としたOBPMにおいては、真に必要な政策が行われていないかも知れないし、真に効果的な政策ではないのかも知れない。

■合理的意思決定

政策の多くは立案され、具体化すると「事業」「事務事業」というかたちになる。そして、事務事業には予算が必要である。この金は公金であり、その原資の多くは税金である。政策の1つの側面は、税金の再分配である。この背景にあるのが、局所的なエピソードだったり、その主観的な評価だったり、まして政策決定権を握る者の個人的縁故であるならば、これはよろしくない。

そこで古くから「合理的意思決定」という議論があった。ラスウェルやマクナマラなどの沿革は秋吉貴雄=伊藤修一郎=北山俊哉 『公共政策学の基礎』(有斐閣,2020)が面白い。この合理的意思決定の一般的なモデルは、森田朗によれば

  1. 達成をめざす一定の目的や追求する価値を定め、
  2. その達成のためのあらゆる手段を選択肢として列挙し、
  3. それぞれの選択肢の結果を予測し、
  4. そのうち目的を最もよく達成する選択肢を選ぶというものと説明される。

このアプローチは政策選択の恣意を排除し、主権者への説明・説得力を高めるものである。この意味では「証拠に基づく政策決定(EBPM)」も同じ流れの中で理解できるだろう。

差異を考えるなら、例えば森田朗がビッグデータの収集・解析や活用が可能となったことを受けて、「エビデンス(根拠)に基づく政策決定が実現できるようになった」と説明していることが注目される(森田,2007,166P)。

これは、従前の合理的意思決定が、政策の選択肢を並べ、そこから最も費用対効果に優れたものを選ぶというプロセスであるのに対し、「証拠に基づく政策決定(EBPM)」は、IT技術や統計学を活用することにより、「解決すべき社会問題」の抽出=アジェンダ設定に定量的な根拠=合理性を与えることだろう。これにより、報道されなかったような問題に光を当てることも可能だろうし、限られた資源を合理的に再分配していくことも可能となるだろう。

つまり、EBPMの考え方は、①従前の合理的意思決定と同様に、政策の選択肢の中から合理的な手法を選択する根拠になるのみならず、②従前とは異なり、解決すべき社会問題の抽出という場面においても強力なツールとなるといえるのではないだろうか。

もっとも、1つ留意しなければならないのは、統計やビッグデータを過信しないことかも知れない。なぜなら、今まで考えてきたEBPMの理屈では、トロッコ問題なら1人の方のレールを選ぶからだ。EBPMは、功利主義と親和的なのだろう。なので、すべての政策をEBPMの理論で決定すると、かつて費用便益分析が陥った失敗を繰り返すことになりかねない。かといって「では、何がEBPMの対象で、何が特例なのか?」と訊かれれば即答は難しい。

この意味では、まだまだ発展途上の議論なのかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

inserted by FC2 system