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ハウスホーファーと「地政学」

問題の所在

近時「地政学」と冠する書籍が多く出版されている。特に一般向けの教養本や新書の中に「地政学」に言及するものが増えた印象がある。
僕は90年代『MMR』というマンガで「ハウスホーファー」と「地政学」という単語を知った。そこで「彼はドイツ人のルーツであるアーリア人の出身地・チベットを支配すれば世界を支配できると説いた」と書かれていた。

ホンマかいな?と思う訳だ。これが本当で、ハウスホーファーがよくわからないオカルト的な理由で軍の戦略に影響を与えたようであれば、「地政学」という学問が非常に眉唾くさく見える。それこそ星占いを生業とする「軍師」と変わらないではないか。

そこで、ここでは地政学とハウスホーファーの概要をまとめてみよう。

地政学の沿革ー大陸系と英米系

ハウスホーファーは「地政学の産みの親」という訳ではない。地理学と政治学を結びつけようという発想は、19世紀後半のフリードリヒ・ラッツェル(ドイツ)を嚆矢とする。このアプローチを「地政学(Geopolitik)」という用語で表現したのは、ラッツェルの教えを受けたルドルフ・チェレンである(1899年)。チェレンこそ、地政学の父であろう。

少し脱線するが、ここで法学がドイツ・フランス・イタリアの「大陸法系」と、イギリス・アメリカの「英米法系」を論じていることを想起しよう。法学では、イタリアのボローニャ大学でローマ法を学んだ各国の留学生がドイツやフランスの近代的な法律(法学)を整備した流れと、イギリス→アメリカと独自の発展を遂げた流れがある。実は地政学にも似たような流れがある。

既述のラッツェルやチェレンなど大陸系の学者は、ヨーロッパ諸国を想定して論じた。特徴を挙げるならば、彼らは社会ダーウィニズムの影響を受け、適者生存の論理を中心に議論を進めた。これは国家のイデオロギーとしての議論に結びつく。

これに対し、英米系では、アメリカのアルフレッド・マハンの『海上権力史論』(1890年)や、イギリスのハルフォーフド・マッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』(1919年)が地政学的なアプローチを用いている。ここでは、「シーパワー」「ランドパワー」「ハートランド」という概念を用いつつ、歴史的な事例を基礎として地政学を論じる傾向があった。

以上、系譜は大きく、大陸系(大陸国家系)と英米系(海洋国家系)の2系統であったが、いずれも単なる観測科学ではなく、大変にアクチュアルな側面を有していた。この時期の地政学は「古典的地政学」として位置付けることができる。

ハウスホーファーの地政学

カール・ハウスホーファーの位置付けは、ラッツェルやチェレンの議論を受けた大陸系の古典的地政学の学者というところになる。

ハウスホーファーは、1次大戦前にはドイツ陸軍大学校で戦史を教え、日本駐在武官を経てミュンヘン大学で地政学を教えている。ここでルドルフ・ヘスを介し、ランツベルク刑務所に収監されていたアドルフ・ヒトラーと知り合っている。

ハウスホーファーの学説で最も重要なのは「生存圏(Lebensraum)」という概念だろう。

生存圏とは、「国家が自給自足を行うために必要な政治的支配が及ぶ領土」を指す。当然のことだが、国家の人口が増え国力が足りなくなれば、より多くの資源が必要となり、生存圏は拡張する。ここで重要なのは、ハウスホーファーは、その生存圏の拡張は、国家の権利であるという。この論理が当時の列強が求めるものであったことは明かだろう。生存圏拡大の権利に基づけば、国境問題、植民地主義、戦争・侵略を正当化することが可能なのである。

実際、「生存圏」は、ヒトラーの『我が闘争』においても言及されている。当時のドイツにとって内陸植民地の獲得は戦略上の生命線であり、ゆえに、ハウスホーファーの地政学は一時期はナチスのイデオロギーとなった。しかし後に、彼の妻がユダヤ人であったということを影響してか、ナチスの元を離れている。

また、この理論は、1次大戦後の国際社会で台頭を始めた日本にとっても魅力的なものであったのだろう。曽村保信は、「第二次大戦が始まる前後の頃は、日本人のあいだで地政学といえば、カール・ハウスホーファーの名前と結びついて」おり、「少なくとも一部の日本人にとって、アジア大陸や南方への進出をさそう麻酔的な響きをもっていた」と指摘している。

神秘主義者としてのハウスホーファー

次に『MMR』で言及していたナチスのオカルティズムを考えよう。ナチスがオカルティズムを好んだのは有名だが、ハウスホーファーも神秘主義的な側面があった。

彼はヴリル協会という秘密結社を結成していたらしいし、「黄金の夜明け団」のドイツ支部にも入会していた。「黄金の夜明け団」は、ウィリアム・ウィン・ウェストコットとドイツの魔術師アンナ・シュブレンゲルとの往復書簡を経て、マクレガー・メイザーズを迎えて発足した組織だが、従前の散り散りになっていた魔術、錬金術、占星術の資料を発掘、再編、再構成した西洋魔術の基礎を作り上げ、かつ現在の魔術結社が採用している位階制度を作り上げたエポックメイク的な結社である。さらにハウスホーファーは、日本駐在武官の頃に「緑龍会」という組織に属していたようである。この「緑龍会」とは、チベットに起源を持つ秘密結社であるようだ。 

以上、ハウスホーファーとオカルト、東方、チベットの繋がりは窺えるものの、冒頭の『MMR』で言われたような説を説いたかどうかは分からない。

が、その嗜好をみる限り、「生存圏」の抽象的な議論の背景に神秘主義的な発想が混じっていても不思議ではないかも知れない。このあたりは慎重に検討する必要があろう。

再び地政学が流行している理由

徳永恂がまとめる趣旨によれば、2000年代に再び地政学が流行している理由は、一次大戦後の時期と現代を重ね合わせてみる必要があるという。

すなわち、古典的地政学が勃興した時期は第一次大戦後の世界における勢力の変容(シベリア出兵、日本の台頭、パレスチナ紛争の種など)といった画期であり、いずれの国も領土所有関係を批判し・または正当化する要請を抱えていた。対する現代は、一見パクス・アメリカーナというか、アメリカのヘゲモニーにあるように見えるが、2000年代には、テロ、イラク、アフガニスタン、EUの拡大、そしてロシアのウクライナ侵攻など、その実、平和な凪の時代とは言い難い。

であるからこそ、「地政学」は、次代に求められるように、再びの流行を迎えたのではあるまいか。

参考文献

  • 水津一朗、荒俣宏「ハウスホーファー」『世界大百科事典』(平凡社)
  • 徳永恂「地政学」社会思想史学会『社会思想史辞典(電子版)』(丸善書店,2019)444-445P
  • 北岡伸一=細谷雄一『新しい地政学』(東洋経済新報社,2020)41-43P
  • 茂木誠『世界史で学べ!地政学』(祥伝社、2015)
  • 秦野啓『ズバリ図解・世界の秘密結社』(ぶんか社文庫、2007)
  • 石垣ゆうき『MMR-地底王国からの破滅の囁きとは!?』(講談社)

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