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道元の禅の特徴

かつて調べてことがある。何で調べたのか詳細な理由は忘れた。せっかくなので整理しておこう。宗教は好きだけど、専門に学んだことはない。

道元の経歴

道元は、貴族の家に生まれ、23歳のとき宋へ渡り「禅」を学んだ。「禅」とは、静かに考える思惟修の意であり、古代インドの瞑想法(ヨーガ)のうち、精神統一の部分が仏教に取り入れられ、特に中国と日本で極度に洗練されて独自の発展をした思想である。

宋の時代には、五家( 臨済宗・曹洞宗・法眼宗・仰宗・雲門宗)に分かれ、このうち臨済宗には黄竜派と楊岐派が存在していた。これを「五家七宗」という。これらの各派は、外部に対しては禅宗として教義を心から心へ直接伝えることを唱え(教外別伝)、内部に対しては各々の家風に立った自派の優勢を説く状況にあった。このような状況で曹洞宗の天童如浄に学んだ道元は、26歳で印可を受け、2年後に帰国し、日本曹洞宗の開祖となった。

道元の思想

道元は、『正法眼蔵』95巻、『永平広録』10巻に代表される数多くの著作を残しており、その思想の特質は、「現に成立しているものは絶対の真理である」と説く点にある(現成公案)。彼によれば、万物は現に成立し、それは絶対的真理であって、人間も万物の中の一つとして絶対的真理に生かされている。そして、この現成公案の真理は、代々の仏祖(正伝の仏法)によって正しく伝えられ、只管打坐によって開かれるとする。この点が道元の基調となっている。

これを彼の学んだ宋の状況に照らして考える。彼が禅の本旨を五家分派以前の全仏法にあるとし、目前の宗名にこだわらずに正伝の仏法を強調した点において、当時の宋あるいは我が国の状況下における特色を見ることができる。

ところで道元の説く基本形態、基本思想である只管打坐とはどのような思想だろうか。それは、ひたすら(只管)坐禅に打ち込む(打坐)という字句の示すとおり、焼香・礼拝・念仏・看経・看話といったものを拝し、坐禅を唯一の行とすることを示し、彼の説くところの坐禅の神髄である。これを宋の時代に成立した看話禅が、悟りに到達する手段としての師から弟子への問い(公案)の工夫を中心とする坐禅であり、凡夫より仏に向かう修行であるとした点に対応するかたちで比較すれば、道元の説く思想は、只管打坐を仏になるため、悟り(証悟)を得るための修行でなく、修行それ自体が仏行であると説いた(修証一等)点に大きな特色を見ることができる。

では、只管打坐により、どのように証悟の境地へと到ると説くのだろうか。この点、道元は、「仏教の道を習うことは自己を習うことであり、自己を習うことは自己への執着心を離れることであり、このことは山河大地の全ての存在に、自己の存在が実証されることであり、自己が万法により実証されることは、自己の心身の全ての存在の中に脱落させることである」とする。彼の説くところによれば、只管打坐は待悟の手段や作仏の方法ではなく、修証一等である。只管坐禅に打ち込むことにより、心身の一切の執着を離れ、無我に徹することができる。そして、このとき人間の本性である仏性が実現されるのである。

彼は、仏性を万物一切存在の根拠あるいは価値の根源と考えているのだから(現成公案)、仏性が実現された自分自身は、仏法によりあらしめられる山川草木と一体になり、やがて安らかで自由と慈悲に満ちる境地に達することになる(心身脱落)。そして、この禅における無我の悟りの境地たる心身脱落は、道元の思想の中心をなす。

まとめ

道元は、以上のように独自の仏性観を展開することで思想的に大きな影響を与えた。この影響は当時の仏教のみならず、20世紀の我が国を代表する哲学者である西田幾多郎の思想の中にも見ることができる。また、仏教においては、師と弟子が対面により正伝の仏法を授受する面授嗣法において、新たな分野を拓き、やがて我が国の仏教に重要な地位を築いた。

参考

  • 増永霊鳳「道元」『世界大百科事典』(平凡社
  • 柳田聖山「禅」『日本大百科全書』(小学館)
  • 鏡島元隆「道元」『日本大百科全書』(小学館)
  • 浜井修(監修)「只管打坐」「心身脱落」「道元」『倫理用語集』(山川出版社,2005)
  • 栗田賢三・古在由重(編)「道元」「禅」『岩波哲学小事典』(岩波書店,1979)
  • ゲレオン・コプフ「無常仏性を基盤とするヒューマニズム」第六十八回学術大会紀要

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