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学位 社会科学

「社会科学に関する基礎的かつ総合的な科目」とは

具体的にどの科目でクリアしたか

大学評価・学位授与機構の「学士(社会科学)」において、単位を集める上で厄介なのが「社会科学に関する基礎的かつ総合的な科目」4単位である。これが何だかよく分からない。

結論をいえば、僕は、放送大学の「市民社会の知識と実践」「環境と社会」でB群をクリアした。

ただし、ネット情報によれば同じ科目を履修していてもある者はOK、ある者は×という結果になることもあるという。

若干の考察

折角なので、少し考えておこう。まず押さえたいのが、社会科学の単位の要件のうち、A群が政治学や経済学など社会科学の各分野である趣旨だ。これは「社会科学の各分野の基礎知識を広く学びなさい」というものだろう。するとB群の科目は、単に「各分野を個別的に学べ」というものではない。では、B群「社会科学に関する基礎的かつ総合的な科目」の要請とは何だろうか。

総合的とは何か

「総合的」とは何か。「学際的な科目」に近しいものか。学際的(Indisciplinary)とは、経済学や法学、工学、医学というDisciplinary(規則のある、きっちり決まった)なものに対する概念で、線引きのない学問分野をいう。観光学、地域研究、ジェンダー研究、環境学がそうだと聞く。要は、「法学」「経済学」と専門的に切り分けられたものではなく、その接続部分から、既存の個々の学問とは異なるアプローチをするような分野だろう。B群の「総合的な科目」というのは、おそらく、そんなアプローチの基礎を学ぶことができそうな科目を指すのだろう。

まぁ、結局、「では何が総合的か」と言われれば断言できない。ただ、僕の経験では、上記の2科目でクリアできた。

誰かの役に立てば幸いということで、記録に残しておこう。

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歴史 現代史

農地改革―GHQ は何を解体しようとしたのか。

問題意識

1)「農地改革は、悪徳地主を妥当し、困窮に苦しむ小作人を救うもの」というのは、建前であっても本音ではない。GHQ は、農民層の窮乏が対外侵略の大きな要因と考えて[老川,2016,10p]、農地改革を行ったと説明とされる。しかし、個人的な感覚によれば「地 主・小作人」という牧歌的な言葉がファシズムと繋がる印象がない。地主制度とファシズム。ここがよくわからない。そ こで日本が再びアメリカの脅威とならないようにする[老川,2016,10p]ための手段として農地改革を実施した背景、農地改革によって解体しようとしたものとは何であるのか考えてみたい。

2)イギリス紙は次のように書く。

日本は、軍部は弱体化したものの、財 閥・官僚・地主は依然として存在しているから、農地改革が必要である。これにより、(1)工業に対する低賃金労働の供給源を断ち、(2)日本の徴兵力を減ずる。(3)農民の購買力を向上させ、国内の需要を増し、対外輸出と侵略を緩和するを実現し、もって民主化すべ きである。

マンチェスター・ガーディアン紙1945年9 月 26 日の社説

戦前の日本は、これと裏返しの状態で あったことが推測される。つまり (1)農村は低賃金労働の供給源であって、 (2)徴兵力を担保し、 (3)農民に購買力がないから対外輸出や 侵略に走ったということだろう。

農地改革が解体しようとした支配層

戦前の日本の支配体制

海外は戦前の日本の財閥・官僚・地主といった旧体制の支配層を問題視していたところ、GHQ は「徹底的な非軍事化と民主化」により、日本を弱体化しようとした。民主化という言葉は耳触りがよい。しかし、少なくともこの時期に行われた民主化は、国民を均質化して、カリスマの台頭を防ぐというのが目的であり、軍事的な去勢に他ならなかった[蔭山,2015,30p]。この方針の肉付けとして行われた弱体化施策には3本柱があった。すなわち 財閥解体・農地改革・労組組合の育成であり、それは社説に言及された旧体制の支配層の解体と対応している。

財閥・政治家・官僚

まず財閥・政治家・官僚の構造を確認しよう。明治維新以来、たとえば三井が政友会、三菱が民政党というように特定財閥と特定政党が接近した。その手法は 政略結婚を繰り返して互いに影響力を 浸透させる方法による[川本]。網の目のように張り巡らせた閨閥を通じ、政治家は政治資金を財閥に求め、財閥は政治家・官僚の人事権を握り、政治家・官僚は金の見返りに財閥の資する政治や行政を行った。結果、政治の重点は財閥の事業=軍需を中心とした重工業に移り [柴垣]、やがて行きついた先が総力戦である。

「地主」―地租改正の効果

1)財閥・政治家・官僚に並ぶ「地主」とは何者か。一般に「他者に土地を貸し、その小作料で生活する階層」をいう。819 年 11 月 5 日に発出された太政官符に「遂に開熟之人を以て永く彼の地主と為せ」とあるように、地主に土地を占取させる制度は早くから利用された[須磨]。その後、彼らは田畑永代売買禁止令の規制が質権による土地金融の土地金融の展開によって空洞化し土地集積が進むと、地主は村落の再生産に深く浸透する存在となり、やがて幕藩領主と小作人の 中間収奪者としての地位を確保するに至った[佐藤]。

2)明治維新により成立した新政府は、対外的には唯一の為政者を名乗っていたが、国内に藩体制を存置したままでは限界があった。そこで統一国家としての実質化を図るために1871年7月に廃藩置県を断行し、同11月には1使3府72県に統合した[田中]。この成功を前提として進められた地租改正こそが、支配層たる地主を作る大きな要因となった。地租改正とは、租税を従前の現物の年貢から新政府への直接貨幣による税を納入させる方式へ作り替えるものであり、このために廃藩を前提として旧藩主らの領主的土地所有を否定し、地主の私的所有権を認めた。地租改正により中央政府の財政基盤は整い、天皇制国家機構の構築を保証することになった[近藤]。他方、私的所有の法認と合わせて地所永代売買の解禁が行われた結果、高額地租に耐えかねた一部零細農民が土地を失い小作農民へ転化することになり、地租を担い得る大地主らに土地が集積していった[近藤]。いずれにせよ「地租改正は地主制を創出・確認した政策であるとともに、さらに出稼ぎ型の生計補的賃労働という特殊日本的賃労働を析出した賃労働創出政策としての意義を持つもの」[近藤]であった。

3)地租改正前後、地方の地主は他に経営を行うなどして地方の資本主義的諸関係をリードし、また「地主手作」と呼ばれる直轄地の耕作をしていた。しかし、奉公人の給銀や肥料・農具代などの高騰により地主手作は縮小し、その部分の土地まで小作に出して高率の小作料をとる寄生地主が発生するようになった[山川辞典]。大規模資本の登場や地主手作の衰退の中で再編され生まれた寄生地主は、小作人への貸地と有価証券投資に特化する存在となった[安孫子]。戦前、地主は一方で高額の地租を国に送り、他方で投資によって財界に金を流し込んでおり、日本の支配層に影響力を及ぼすようになったと考えられる。

4)地主の影響力に強さは、貴族院令(明治22年勅令11号)の中に端的に見ることができる。これによれば、貴族院の構成の中で、皇族や公侯爵に並べて「府県二於テ土地或ハ工業 ・商業二付多額ノ直接国税ヲ納ムル者ノ中ヨリ1人ヲ互選シテ勅任セラレタル者」が挙げられている。地主は貴族院議員の有資格者なのであり「日本の支配層の一角」として、「確立した日本資本主義の再生産構造の不可欠の一環」となり「支配階級として天皇制権力の階級的基礎をなすに至った」[安孫子]。

小括

農地改革のターゲットである地主は、 支配層に金を送り込むのみならず、自らも帝国議会や地方議会で発言力を備えた支配層であった。戦争に対する支配層としての彼らの責任の一端は否定できないだろうし、GHQ がこれを解体しようとした意図も理解できるところである。

日本の国際経済力の基礎を挫くー低 賃金労働力供給源としての農村

再び英紙社説

GHQ は虐げられた小作人を解放するために農地改革を行ったのだろうか?このような建前もあっただろう。しかし現実は、「農地改革によって工業に対する 低賃金労働の供給源を断つ」というところが本音であったことが窺える。

小作人の生活

1)戦前期、日本の外貨獲得に係る基軸的産業は生糸と綿糸布であり、戦争の足音が聞こえると一気に重工業化が進んだ。日本には資源もなければ自前の先端機械もない。では何が国際競争力の源泉だろうか。それは、低賃金労働力[暉峻a] であり、また、彼らの技術の高さであった。このような労働力はいかにして生ま れたのだろうか。

2)地主は高額の地租や出資金を払っても公侯爵に比する生活ができた。これを支えていたのは支出を上回る小作料である。地主の生活の背景には、小作農(全体の3割、零細自作兼小作を含めると7 割)の辛い生活があった。彼らは収穫米の半分を小作料として徴収された。地主に債務を負って、人格的にも隷属的な立場を強要されるという生活であったという[暉峻b]。また当時は長子相続制であり、農村では、田畑の細分制限令などにより零細地主であっても分家もできないような状態だった[児玉]。僅かな財産すら遺されない次子以下の者や娘はどうするか。あるいは食い扶持を減らす必要もあったろう。彼らは家、そして村を出て行くことになった。

低賃金労働力の供給源としての農村

1)第一次世界大戦でヨーロッパの生産設備が破壊され、需要は新興の日本に振り向けられた。これに応えるために日本の設備投資は大幅に増えた。従前はブラジルなどに渡っていた食い逸れの人々は、都市部の工場、つまり資本家・財閥の下部組織へ吸収されていった。無論、労働力は供給過多であり、待遇に不平があっても他に生きる途もない者である。したがって低賃金とならざるを得ない。こうして農村は安く質の良い労働力の供給源となり、彼らは日本の国際競争の原動力となった。

2)のみならず、この時期の労働者とは、前線と無関係ではない。エルンスト・ユンガーは『労働者』(1932)の中で総力戦は労働者とリンクすると指摘した。これによれば、前線では戦闘機・戦車を操作する労働者と、後方でそれらを生産する労働者の区分は曖昧になるという。前線と後方の一体感・一体化こそが「総動員」であり、これがファシズムにつながると指摘した。つまり、地主というシステムは、軍国主義で総力戦を行う日本の兵站部隊を供給していた一面もあったと捉えることができるのではないか。

小括

農村で食い逸れた人々の犠牲の上に鍛えられた日本の競争力、また総力戦を展開した日本の兵站は、GHQ が脅威と認識したものである。地主制がこれを生み出すのに寄与しているのであれば、これは再軍備を防ぐためにはスポイルすべきシステムである。そのためには低賃金労働の供給を断つ必要がある。それは、農民 が農村にどまり、どうにか食っていける体制を整える農地改革だったのである。

閉塞を打破する体制を望む者の牽制

ファシズムを望んだ人々とその牽制のための農地改革

1)「地主は支配階層」と書いたが、寄生地主制は封建制から資本主義への過渡的段階であり、戦前の段階で極に達してからは後退局面にあった。日本の資本主義が成熟段階に入ると、資本制と地主制の矛盾が露呈したためである。これはすなわち、(1)急速な工業化は低価格で安定した米を求めるようになったこと、 (2)近代信用制度は地主の収入源の1 つとなっていた高利貸を制約するようになったことである。1918年の米騒動などの小作人の農民運動の展開も相まって、政府は政策の舵を切った。小作運動を弾圧しつつ自作農創設維持基金を 作るという飴と鞭を行い、他方で商工業への食糧確保のために米穀法を制定し た(1921)。昭和恐慌や農業恐慌を経て 戦時体制に入ると食糧管理制度、二重米価、適正小作料などの諸政策を展開したが、この時期になると地主切捨ての色彩 が色濃く見えていた[安孫子]。

2)このしわ寄せは小作人に押し付けられる部分も少なくなった。大きな恐慌に喘いだ時期でもある。こうして貧困や閉塞状況に逼塞していた零細地主や小作人は、折しも台頭した右派急進派に、閉塞の打破と希望を見出した。行き詰まりの 打開策としてファシズムを求めたという指摘されるところである[暉峻 c]。地主制度が盛り上がりを見せて、その到達点にファシズムがあったというよりは、既に後退局面にあった地主制度の中で、なお地主の特権的立場を維持しようとした地主の抵抗に起因する制度の末期的な段階にあって、予測外に極右化したというところだろうか。なればこそ、GHQは再びのファシズム化を防ぐために農地改革を行い、瀕死であった地主制度の命脈を絶ったのであろう。

共産化・社会主義化を防ぐための農地改革

1)ウィキペディアの農地改革の項には共産主義への対抗のためという趣旨の記述がある。たしかに「持たざる者」として搾取されている小作人は共産主義に傾き易いだろう。ところで日本の位置は、アメリカにとって見れば、防共戦略の最前線である。ここを共産化させる訳にはいかない。つまり、日本は、再びアメリカに楯突く強さを持たせてはならないが、共産主義の波に取り込まれるほど弱体化してもならないのである。農地改革は、このような要請の中にあって、防共体制を構築する手法としての役割も担った。これについては、共産化や社会主義化を防ぐ手法として機能している ホームステッド法(1862 年)という現在進行形の先例を下敷きにしたものであると評価してもよいかも知れない。

2)ブルジョアは現在の地位を守るために保守を支持する。しかし、工業化が進むとプロレタリアートが強くなり、彼らは改革を望む。ブルジョアの弱点は頭数の少なさである。ここから、一般に工業化・都市化が進むと社会主義に傾くという全体的な傾向がある。この点、アメリカは社会主義化しないのは何故だろうか。ここでホームステッド法が注目されるのである。ホームステッド法とは、65 ヘクタールの公有地を5年間開墾居住すれば、その後に無償で取得できると保証するものである。実際に西部開拓に多大な効果をもたらした。ここで生まれた自作農は、自分に財産を与えてくれて、所有を保証してくれる政府を支持する保守勢力となった。 これにより、政府保守勢力は、資金援助担当(ブルジョア)と、頭数担当(自作農)という支持層を得ることになり、 プロレタリアの頭数に対抗することができるようになった。アメリカが共産化・社会主義化しない理由がここにある [ゆげ]。現に、大統領選挙を見れば、リベラルの民主党が獲得する州は沿岸部の工業地帯である。

3)日本において第二次世界大戦後に吹き荒れた共産化…は、…小作人は共産勢力のターゲットであった[中里,2018]だろう。これに対し、GHQは、アメリカ本国の防共戦略を適用したのだろう。農地改革は小作農が「持たざる者」であるがゆえに反体制を望んできた点に着目し、彼らに土地・財産を与えることで、反体制 の萌芽を摘もうという意図を看取することができる。

総括

以上、農地改革について検討した。農地改革については、「旧支配層である地 主に搾取されていた人々を解放するもの」という素朴な理解であった。しかし、実際にはこのような目的は建前であった。英紙社説のいうように、戦勝国の視点は「日本が再び脅威になること」を防ぐという点にあり、そのために旧支配層の一角であった地主を解体したのである。

かつての日本の強力な武器として、質が良く低賃金の労働者による競争力があった。大戦中はこの労働力が兵站の役割を果たしていた。地主は、結果として、この供給に寄与していた。地主が土地を独占していたことにより、食い逸れたものがこのような労働者になっていたの である。農地改革は、同時に行われた労働基本権の確立と合わせて、このシステムを変え、供給源を断つという目的を有していた。さらに農地改革は、ホームステッド法の成功体験を下敷きにしている点も窺える。自作農の創設は、保守層を作り、それにより当時脅威となりつつあった共産主義を牽制し、日本の共産化を防ぐという意図もがあったことも確認でき たところである。

農地改革によって GHQ が解体したもの。それは戦前の日本の支配層であり、戦争 を支えた兵站であり、共産勢力やファシズムといった現状を打破するために極端な思想へ傾くことへの危険性である。(以 上)

■参考文献

  • 安孫子麒「寄生地主制」『世界第百科事典(第2版)』ベーシック版』(日立デジタル平凡社,1998)=[安孫子]
  • 児玉幸多「家〔近世〕」同上=[児玉]
  • 暉峻衆三「農地改革」同上=[暉峻 a]「小作農」同上=[暉峻 b]「地主〔近代〕」同上=[暉峻 c]
  • 川本彰「家〔結合原理としての家ー伝統と変容〕」同上=[川本
  • 柴垣和夫「財閥」同上=[柴垣]
  • 須磨千頴「地主」同上=[須磨]
  • 佐藤常雄「地主〔近世〕」同上=[佐藤]
  • 田中彰「廃藩」同上=[田中]
  • 近藤哲夫「地租改正」同上=[近藤]
  • 老川慶喜『もういちど読む山川日本戦後史』(山川出版社,2016)=[老川]
  • 蔭山克英『やりなおす戦後史』(ダイヤモンド社,2015)=[蔭山]
  • 『山川 日本史小辞典(改訂新版)』(2016 年,山川出版社)「地主手作」[山川辞典]
  • 中里幸聖『変わる! 農業金融―儲かる“企業化する農業”の仕組み』(日刊工業新聞社,2018)
  • 葛建延「日本の農地改革―その意義と限界」(創価大学大学院紀要 31,141-160,2009)
  • ゆげ塾「共和党と民主党どっちが強い?~南北戦争は票田を耕した~」=[ゆげ] https//www.youtube.com/watch?v=7c-0saqrU1E(2021.1.21 確認)
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学士(社会科学)取得の動機

概要

(独)大学改革支援・学位授与機構を利用した学位取得2つ目は、2019年春の申請。「学士(社会科学)」であった。書いた学修レポートは、自治体の補助金についての批判的考察。出来はお世辞にも良いとは言えないものであった。

動機

30代後半になった頃から、「学際性」というものに興味を持ち始めていた。影響を受けたのは、大澤真幸氏か。その著作は、学問分野を問わない引用・考察から独自の見解を説くものが多く、非常に新鮮だった。

その頃、本屋さんは、「リベラルアーツ」みたいな標題の本、教養本が増え始めていた。

若い頃は「法律家」みたいな一点突破、専門家、スペシャリストという生き方を目指していた。しかし、

  1. 40がらみのオッサンになってみて記憶力が覚束なくなった。
  2. パソコンやスマホの普及で、専門家でなくても専門知識を調べやすくなった。

そうすると、僕が、ある1つの分野の専門知識を突き詰め、中途半端な専門家を気取ってみても、僕が諳んじている程度の知識では、目の前で若者がスマホを駆使してネットから拾ってくる専門知識の情報量には勝てないのではないかと思うようになったのだ。

1つの分野に特化しても、ネットの情報量に勝てないならば、複数の分野の知識を横断的・有機的・総合的に活用できるスキルを学びたいとか思うようになった。

非常に単純だが、これが学際的な分野に手を出した動機である。

とはいえ…

若い頃の野望の残滓もある。浅く広い中途半端なゼネラリストというのは、僕は好みではない。なので、1つは自分の中で核みたいな分野をもちつつ、その周辺知識を裾野のように広げたいという感じなのだ。

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用語 行政学

自助・共助・公助の役割分担の見直し

定義

「自助・共助・公助」という言葉をよく耳にする。ここでは、この3つが学問的にはどのように捉えられているかを簡単に確認する。

・・・個人の自立を視野に入れた補完性は、改革の理念という以前に一つの現実でもある。個人の自立を「自助」、近隣コミュニティの協力を「共助」、自治体や国の公共サービスを「公助」とすれば、補完性とは自助を基礎に、共助がこれを支え、公助がそれらを支援する実態に他ならない。・・・現代人は、行政のサポートを所与と考えがちだが、日常の衣食住から就活・婚活まで、市民にとって生活の大半は自助・共助が基本である。

西尾隆ほか『現代の行政と公共政策』(放送大学教育振興会,2016)

これは「補完性の原則」の解説と合わせて、自助・共助・公助の関係性を解説した部分である。

役割分担の再検討

報道で知る事実や地震の経験に照らす限り、たしかに「行政のサポートを所与」と考える傾向は窺えるように思う。

しかし、自治体を取り巻く環境は今後ますます厳しいものになる。これから人口減少(特に就業人口の減少)を見据えれば、現在の事務事業の規模を維持していくことは甚だ難しい。

では、「財政が厳しいから現在の事務事業(公助)を縮小する」と言って納得を得られるだろうか。難しいだろう。単純に縮小すればいいという訳ではない。

この点、横山幸司先生の指摘-自治体戦略2040構想研究会の報告書(2018)を受けた議論-は、示唆が含まれている。そこでは防災を例に挙げる。いつ起きるか分からないのが地震や台風のような災害であり、かつ、発生した際には自治体の区域内のほとんどが対応を要する事態になる。つまり、対応を求める全てを十分にカバーするような行政対応は難しく、この意味で行政には限界がある。ゆえに、市民各員が自分で防災グッズを揃えるとか(自助)、近所や町内会で助か合うのが重要であり(共助)、自助や共助では対応ができない部分を行政が担うのがよいという(公助)。

重要なのは、これにより、100%公助である場合よりも、自助・共助・公助の適切な役割分担をすることで、結果として地域の防災力を高めることができるという点であるである。

これは「公から私への責任の押し付けでもなく、逆に私から公への依存でも」ない。そして「こうした役割分担は防災分野だけではなく、すべての行政分野に必要」なのである(横山,17P)。

こういう流れで重要な枠割を果たすのは。自治体のまちづくり担当課、町内会・地縁団体担当課であろう。これらの部局は、ともすれば、町内会の運営補助に終始しがちである。しかし、これからの自治においては、町内会の自立、すなわち共助の育成を促すような関わり方が大切である。町内会やNPOは、従前行政が担ってきた事務事業の担い手―それも委託先ではなく、公共サービスの提供者として―として、今後、その役割が求められていくのではなかろうかと。

参考

  • 西尾隆ほか『現代の行政と公共政策』(放送大学教育振興会,2016)
  • 横山幸司『行政経営改革の要諦』(サンライズ出版,2020)

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学位 放送大学大学院

放送大学大学院(1) 出願

出願まで

出願は夏。僕は2020年8月下旬に出願を行った。インターネットでも出願できるようであったが、僕は郵送であった。なお、願書は最寄りの学習センターで配布されている。

「これを出すと、2年間の研究&約50万」と思うと、なかなか筆が重いものである。しかし、今にして思えば、50万でこれほど濃密で充実した日々を送れたのだ。決して高いものではあるまい。

提出書類①出願票

出願票は基本的に、住所氏名や勤務先など当たり前のことしか書かない。この資格を満たしている書類を出身大学から交付を受ける必要がある

提出書類②研究計画書

出願の段階で題目を書く。研究計画書は、その進め方を示すものである。この書き振りこそが合否を分けるのではないかと思う。
オーソドックスな研究計画書の書き方を知らんが、「研究計画だけを書く」というものではないだろう。先行研究の有無や新規性を書く必要がある。

字数制限は1000字程度。極めて短いので、まとめるのが難しい。参考までに、僕は次のような構成とした。

1目的
□□には〇〇という問題がある。これについて△△であることを実証したい(学術的に位置付けたい)

2先行研究
□□には、次のような先行研究がある。
(1)・・・。(出典)
(2)・・・。(出典)

3研究計画
(1)・・・について情報収集と分析
(2)仮説の論証方法の目途
(3)研究成果を実務へフィードバックする方法の目途

4新規性
△△は体系的な研究が多くない。この研究は学問的にも実務的にも意味があると考える。

提出書類③志望理由書

志望理由については700字程度が目安である。僕は、問題意識と大学院で研究を希望した理由、そして、「社会経営科学」という専攻にする理由を書いた。
書き振りは個々人の背景によって異なるだろうが、参考までに僕は以下のとおりであった。

・私は、〇〇の職務を行っており、この中で□□について問題意識を持った。
・この点について、学位授与機構の制度を利用し、〇〇の側面から考察して法学の学士を、〇〇の側面から考察して社会科学の学士を得た。このように□□に関する問題は、社会科学全般に及ぶ。これに対して私が独自の視点に基づいて整理を続けても、射程が再現なく拡大するおそれがあることから、研究者の指導を希望したものである。的な。

問題意識と、やってきたことをアピールすることを念頭に書いてみた。今にして思えば、品がないかなぁとも思うな。

提出書類④卒業研究等

過去に扱った卒論などを要約して書く。500字。
僕は学位授与機構に出した法学の学修成果を記載。学修成果に添付した要約文があるので、それを流用。

おわりに

放送大学大学院は、定員一杯まで入学できる訳ではない。
僕のときは社会経営科学は定員100名に対し出願が78名。このうち合格したのは35名に過ぎない。2.23倍だ。

ここから何がわかるか。
大学入試のように「定員まで絞るための試験」ではないことだ。では何を見るか。「修士論文が完成できかどうか」だ。

試験がそのような性格である以上、1次試験の英語や専門試験より、研究計画書などの出願時に提出する書類の書き振りのほうが重要なのかも知れない。何故か。

第1に、研究計画書や動機から論理性やセンスを見ることはできる。
第2に、何を研究しようとしているかを見ることにより、「2年でまとまるテーマか」というあたりも判断されるのだろう。

2点目の評価がどのように行われているかは知らんが、たとえば「民主主義の限界について」「社会の正義について」みたいな壮大なテーマをブチ上げてるのを見たとき、どう思うか考えてみよう。「2年で答えが出る訳ないやんけ」と思うだろう。

ウィトゲンシュタインじゃないんだから、「既存学問の議論に終止符を打つ」というような壮大な研究テーマは、まず敬遠されるだろう。2年、それも働きながらの研究ではとてもとても…。

巨人の肩に乗って」という。
先人の研究を基にして、ちょっと先へ進み、学問の発展に貢献することである。そう、ちょっと先の景色を見るくらいの新規性がちょうどいいだろう。

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