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証拠に基づく政策決定(EBPM)

■証拠に基づく政策決定

証拠に基づく政策決定」とは、最近、行政学の分野で注目されている意思決定プロセスである。Evidence-Based policy Makingの頭文字をとって「EBPM」と表記される。

内閣府が定義するところでは、「政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくものとすること」という。政策効果の測定に重要な関連を持つ情報や統計等のデータを活用したEBPMの推進は、政策の有効性を高め、国民の行政への信頼確保に資するものである。

注目しているのは実務のみではない。森田朗の『現代の行政』、曽我謙悟の『行政法』、放送大学大学院テキストの御厨貴『公共政策』などでも積極的な評価とともに言及されている。

■EBPMとOBPM

これと対比されるのが、内閣府のいうところの「その場限りのエピソードに頼った政策決定」だろう。このような意思決定方式をEBPMと対比するなら、「意見に基づく政策決定(OBPM)」などということもあるようだ(小高新吾,2021,40P)。ちなみに「O」はOpinionだ。

では、「エピソード」「意見」とは何か。
この例の1つは報道だろう。例えば「道路の不具合を放置していたため高齢者が亡くなった」「バスに置き去りにされた幼児が亡くなった」。その他、自治体であれば地元紙が書くローカルなニュース、課題がある。このような報道を引き合いに出し、一事が万事である如く「ほら、こんな問題があるのだから、速やかに対策しなければならないでしょ」という論法で政策が制度化されていくことがある。こういうエピソードは大変痛ましい。それゆえに、エピソードが議論の対象になると反論することが(感情的には)難しい。

次に、報道でなくて、自治体のローカルエピソードとして「市内の○○という団体が補助金の対象とならず団体の維持ができない」といったものから制度見直しの方向性を決めることすらある。ここで「同じように困っている団体がどれだけあるのか」「そもそも補助金の趣旨は現在でも有効なのか」という議論を経ずに制度見直しが始まる場合がある。タチが悪い。エピソードに着目した政策決定は、報道のインパクトだったり、報道から展開して醸成された世論だったり、悪くすれば、ローカルの利害関係者や立案に携わる職員の声の大きさに影響を受けることさえある。

無論。報道されるくらいだから、個々のエピソードは大変に痛ましいものであるし、対策が必要なものである。しかし、報道機関が常に「相対的に最も重要な事案」を報道している訳ではない。社会的反響と客観的な重要性が正比例している訳ではない。つまり、旧態依然としたOBPMにおいては、真に必要な政策が行われていないかも知れないし、真に効果的な政策ではないのかも知れない。

■合理的意思決定

政策の多くは立案され、具体化すると「事業」「事務事業」というかたちになる。そして、事務事業には予算が必要である。この金は公金であり、その原資の多くは税金である。政策の1つの側面は、税金の再分配である。この背景にあるのが、局所的なエピソードだったり、その主観的な評価だったり、まして政策決定権を握る者の個人的縁故であるならば、これはよろしくない。

そこで古くから「合理的意思決定」という議論があった。ラスウェルやマクナマラなどの沿革は秋吉貴雄=伊藤修一郎=北山俊哉 『公共政策学の基礎』(有斐閣,2020)が面白い。この合理的意思決定の一般的なモデルは、森田朗によれば

  1. 達成をめざす一定の目的や追求する価値を定め、
  2. その達成のためのあらゆる手段を選択肢として列挙し、
  3. それぞれの選択肢の結果を予測し、
  4. そのうち目的を最もよく達成する選択肢を選ぶというものと説明される。

このアプローチは政策選択の恣意を排除し、主権者への説明・説得力を高めるものである。この意味では「証拠に基づく政策決定(EBPM)」も同じ流れの中で理解できるだろう。

差異を考えるなら、例えば森田朗がビッグデータの収集・解析や活用が可能となったことを受けて、「エビデンス(根拠)に基づく政策決定が実現できるようになった」と説明していることが注目される(森田,2007,166P)。

これは、従前の合理的意思決定が、政策の選択肢を並べ、そこから最も費用対効果に優れたものを選ぶというプロセスであるのに対し、「証拠に基づく政策決定(EBPM)」は、IT技術や統計学を活用することにより、「解決すべき社会問題」の抽出=アジェンダ設定に定量的な根拠=合理性を与えることだろう。これにより、報道されなかったような問題に光を当てることも可能だろうし、限られた資源を合理的に再分配していくことも可能となるだろう。

つまり、EBPMの考え方は、①従前の合理的意思決定と同様に、政策の選択肢の中から合理的な手法を選択する根拠になるのみならず、②従前とは異なり、解決すべき社会問題の抽出という場面においても強力なツールとなるといえるのではないだろうか。

もっとも、1つ留意しなければならないのは、統計やビッグデータを過信しないことかも知れない。なぜなら、今まで考えてきたEBPMの理屈では、トロッコ問題なら1人の方のレールを選ぶからだ。EBPMは、功利主義と親和的なのだろう。なので、すべての政策をEBPMの理論で決定すると、かつて費用便益分析が陥った失敗を繰り返すことになりかねない。かといって「では、何がEBPMの対象で、何が特例なのか?」と訊かれれば即答は難しい。

この意味では、まだまだ発展途上の議論なのかもしれない。

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ハウスホーファーと「地政学」

問題の所在

近時「地政学」と冠する書籍が多く出版されている。特に一般向けの教養本や新書の中に「地政学」に言及するものが増えた印象がある。
僕は90年代『MMR』というマンガで「ハウスホーファー」と「地政学」という単語を知った。そこで「彼はドイツ人のルーツであるアーリア人の出身地・チベットを支配すれば世界を支配できると説いた」と書かれていた。

ホンマかいな?と思う訳だ。これが本当で、ハウスホーファーがよくわからないオカルト的な理由で軍の戦略に影響を与えたようであれば、「地政学」という学問が非常に眉唾くさく見える。それこそ星占いを生業とする「軍師」と変わらないではないか。

そこで、ここでは地政学とハウスホーファーの概要をまとめてみよう。

地政学の沿革ー大陸系と英米系

ハウスホーファーは「地政学の産みの親」という訳ではない。地理学と政治学を結びつけようという発想は、19世紀後半のフリードリヒ・ラッツェル(ドイツ)を嚆矢とする。このアプローチを「地政学(Geopolitik)」という用語で表現したのは、ラッツェルの教えを受けたルドルフ・チェレンである(1899年)。チェレンこそ、地政学の父であろう。

少し脱線するが、ここで法学がドイツ・フランス・イタリアの「大陸法系」と、イギリス・アメリカの「英米法系」を論じていることを想起しよう。法学では、イタリアのボローニャ大学でローマ法を学んだ各国の留学生がドイツやフランスの近代的な法律(法学)を整備した流れと、イギリス→アメリカと独自の発展を遂げた流れがある。実は地政学にも似たような流れがある。

既述のラッツェルやチェレンなど大陸系の学者は、ヨーロッパ諸国を想定して論じた。特徴を挙げるならば、彼らは社会ダーウィニズムの影響を受け、適者生存の論理を中心に議論を進めた。これは国家のイデオロギーとしての議論に結びつく。

これに対し、英米系では、アメリカのアルフレッド・マハンの『海上権力史論』(1890年)や、イギリスのハルフォーフド・マッキンダーの『デモクラシーの理想と現実』(1919年)が地政学的なアプローチを用いている。ここでは、「シーパワー」「ランドパワー」「ハートランド」という概念を用いつつ、歴史的な事例を基礎として地政学を論じる傾向があった。

以上、系譜は大きく、大陸系(大陸国家系)と英米系(海洋国家系)の2系統であったが、いずれも単なる観測科学ではなく、大変にアクチュアルな側面を有していた。この時期の地政学は「古典的地政学」として位置付けることができる。

ハウスホーファーの地政学

カール・ハウスホーファーの位置付けは、ラッツェルやチェレンの議論を受けた大陸系の古典的地政学の学者というところになる。

ハウスホーファーは、1次大戦前にはドイツ陸軍大学校で戦史を教え、日本駐在武官を経てミュンヘン大学で地政学を教えている。ここでルドルフ・ヘスを介し、ランツベルク刑務所に収監されていたアドルフ・ヒトラーと知り合っている。

ハウスホーファーの学説で最も重要なのは「生存圏(Lebensraum)」という概念だろう。

生存圏とは、「国家が自給自足を行うために必要な政治的支配が及ぶ領土」を指す。当然のことだが、国家の人口が増え国力が足りなくなれば、より多くの資源が必要となり、生存圏は拡張する。ここで重要なのは、ハウスホーファーは、その生存圏の拡張は、国家の権利であるという。この論理が当時の列強が求めるものであったことは明かだろう。生存圏拡大の権利に基づけば、国境問題、植民地主義、戦争・侵略を正当化することが可能なのである。

実際、「生存圏」は、ヒトラーの『我が闘争』においても言及されている。当時のドイツにとって内陸植民地の獲得は戦略上の生命線であり、ゆえに、ハウスホーファーの地政学は一時期はナチスのイデオロギーとなった。しかし後に、彼の妻がユダヤ人であったということを影響してか、ナチスの元を離れている。

また、この理論は、1次大戦後の国際社会で台頭を始めた日本にとっても魅力的なものであったのだろう。曽村保信は、「第二次大戦が始まる前後の頃は、日本人のあいだで地政学といえば、カール・ハウスホーファーの名前と結びついて」おり、「少なくとも一部の日本人にとって、アジア大陸や南方への進出をさそう麻酔的な響きをもっていた」と指摘している。

神秘主義者としてのハウスホーファー

次に『MMR』で言及していたナチスのオカルティズムを考えよう。ナチスがオカルティズムを好んだのは有名だが、ハウスホーファーも神秘主義的な側面があった。

彼はヴリル協会という秘密結社を結成していたらしいし、「黄金の夜明け団」のドイツ支部にも入会していた。「黄金の夜明け団」は、ウィリアム・ウィン・ウェストコットとドイツの魔術師アンナ・シュブレンゲルとの往復書簡を経て、マクレガー・メイザーズを迎えて発足した組織だが、従前の散り散りになっていた魔術、錬金術、占星術の資料を発掘、再編、再構成した西洋魔術の基礎を作り上げ、かつ現在の魔術結社が採用している位階制度を作り上げたエポックメイク的な結社である。さらにハウスホーファーは、日本駐在武官の頃に「緑龍会」という組織に属していたようである。この「緑龍会」とは、チベットに起源を持つ秘密結社であるようだ。 

以上、ハウスホーファーとオカルト、東方、チベットの繋がりは窺えるものの、冒頭の『MMR』で言われたような説を説いたかどうかは分からない。

が、その嗜好をみる限り、「生存圏」の抽象的な議論の背景に神秘主義的な発想が混じっていても不思議ではないかも知れない。このあたりは慎重に検討する必要があろう。

再び地政学が流行している理由

徳永恂がまとめる趣旨によれば、2000年代に再び地政学が流行している理由は、一次大戦後の時期と現代を重ね合わせてみる必要があるという。

すなわち、古典的地政学が勃興した時期は第一次大戦後の世界における勢力の変容(シベリア出兵、日本の台頭、パレスチナ紛争の種など)といった画期であり、いずれの国も領土所有関係を批判し・または正当化する要請を抱えていた。対する現代は、一見パクス・アメリカーナというか、アメリカのヘゲモニーにあるように見えるが、2000年代には、テロ、イラク、アフガニスタン、EUの拡大、そしてロシアのウクライナ侵攻など、その実、平和な凪の時代とは言い難い。

であるからこそ、「地政学」は、次代に求められるように、再びの流行を迎えたのではあるまいか。

参考文献

  • 水津一朗、荒俣宏「ハウスホーファー」『世界大百科事典』(平凡社)
  • 徳永恂「地政学」社会思想史学会『社会思想史辞典(電子版)』(丸善書店,2019)444-445P
  • 北岡伸一=細谷雄一『新しい地政学』(東洋経済新報社,2020)41-43P
  • 茂木誠『世界史で学べ!地政学』(祥伝社、2015)
  • 秦野啓『ズバリ図解・世界の秘密結社』(ぶんか社文庫、2007)
  • 石垣ゆうき『MMR-地底王国からの破滅の囁きとは!?』(講談社)
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道元の禅の特徴

かつて調べてことがある。何で調べたのか詳細な理由は忘れた。せっかくなので整理しておこう。宗教は好きだけど、専門に学んだことはない。

道元の経歴

道元は、貴族の家に生まれ、23歳のとき宋へ渡り「禅」を学んだ。「禅」とは、静かに考える思惟修の意であり、古代インドの瞑想法(ヨーガ)のうち、精神統一の部分が仏教に取り入れられ、特に中国と日本で極度に洗練されて独自の発展をした思想である。

宋の時代には、五家( 臨済宗・曹洞宗・法眼宗・仰宗・雲門宗)に分かれ、このうち臨済宗には黄竜派と楊岐派が存在していた。これを「五家七宗」という。これらの各派は、外部に対しては禅宗として教義を心から心へ直接伝えることを唱え(教外別伝)、内部に対しては各々の家風に立った自派の優勢を説く状況にあった。このような状況で曹洞宗の天童如浄に学んだ道元は、26歳で印可を受け、2年後に帰国し、日本曹洞宗の開祖となった。

道元の思想

道元は、『正法眼蔵』95巻、『永平広録』10巻に代表される数多くの著作を残しており、その思想の特質は、「現に成立しているものは絶対の真理である」と説く点にある(現成公案)。彼によれば、万物は現に成立し、それは絶対的真理であって、人間も万物の中の一つとして絶対的真理に生かされている。そして、この現成公案の真理は、代々の仏祖(正伝の仏法)によって正しく伝えられ、只管打坐によって開かれるとする。この点が道元の基調となっている。

これを彼の学んだ宋の状況に照らして考える。彼が禅の本旨を五家分派以前の全仏法にあるとし、目前の宗名にこだわらずに正伝の仏法を強調した点において、当時の宋あるいは我が国の状況下における特色を見ることができる。

ところで道元の説く基本形態、基本思想である只管打坐とはどのような思想だろうか。それは、ひたすら(只管)坐禅に打ち込む(打坐)という字句の示すとおり、焼香・礼拝・念仏・看経・看話といったものを拝し、坐禅を唯一の行とすることを示し、彼の説くところの坐禅の神髄である。これを宋の時代に成立した看話禅が、悟りに到達する手段としての師から弟子への問い(公案)の工夫を中心とする坐禅であり、凡夫より仏に向かう修行であるとした点に対応するかたちで比較すれば、道元の説く思想は、只管打坐を仏になるため、悟り(証悟)を得るための修行でなく、修行それ自体が仏行であると説いた(修証一等)点に大きな特色を見ることができる。

では、只管打坐により、どのように証悟の境地へと到ると説くのだろうか。この点、道元は、「仏教の道を習うことは自己を習うことであり、自己を習うことは自己への執着心を離れることであり、このことは山河大地の全ての存在に、自己の存在が実証されることであり、自己が万法により実証されることは、自己の心身の全ての存在の中に脱落させることである」とする。彼の説くところによれば、只管打坐は待悟の手段や作仏の方法ではなく、修証一等である。只管坐禅に打ち込むことにより、心身の一切の執着を離れ、無我に徹することができる。そして、このとき人間の本性である仏性が実現されるのである。

彼は、仏性を万物一切存在の根拠あるいは価値の根源と考えているのだから(現成公案)、仏性が実現された自分自身は、仏法によりあらしめられる山川草木と一体になり、やがて安らかで自由と慈悲に満ちる境地に達することになる(心身脱落)。そして、この禅における無我の悟りの境地たる心身脱落は、道元の思想の中心をなす。

まとめ

道元は、以上のように独自の仏性観を展開することで思想的に大きな影響を与えた。この影響は当時の仏教のみならず、20世紀の我が国を代表する哲学者である西田幾多郎の思想の中にも見ることができる。また、仏教においては、師と弟子が対面により正伝の仏法を授受する面授嗣法において、新たな分野を拓き、やがて我が国の仏教に重要な地位を築いた。

参考

  • 増永霊鳳「道元」『世界大百科事典』(平凡社
  • 柳田聖山「禅」『日本大百科全書』(小学館)
  • 鏡島元隆「道元」『日本大百科全書』(小学館)
  • 浜井修(監修)「只管打坐」「心身脱落」「道元」『倫理用語集』(山川出版社,2005)
  • 栗田賢三・古在由重(編)「道元」「禅」『岩波哲学小事典』(岩波書店,1979)
  • ゲレオン・コプフ「無常仏性を基盤とするヒューマニズム」第六十八回学術大会紀要
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教職員と研修〜公立学校の教員の研修をどう取り扱うか。

教育公務員は研修について特別な取扱がある。この点を整理する。公立学校を設置する自治体の教育委員会事務局としての視点だ。

研修の位置付け

教育公務員(教員・校長・事務職員)は、人間の発達を助け、人格の完成を目指す教育活動に関与している点において行政職(つまり、教育委員会事務局職員など)とは性格を異にしている。その中で、教育公務員にとっての「研修」は、行政職の研修における能率的見地におけるものではない。教育公務員の研修とは、教育活動を成り立たせるための必須の基礎的前提として位置付けられている。

この重要性は、教育公務員特例法(昭和24年法律第1号)に定められた研修条項が「(この条項があって)はじめて、教育者が一般公務員から切り離されて、特別に扱われている理由がはっきりのみこまれる」と説明された点からも窺い知ることができる(文部省内文教研究同人会『教育公務員特例法解説』(1949,文治書院,46p))。

以上をふまえ、教育公務員を管理監督する教育委員会事務局においては、教育公務員の研修が生徒等への教育責任を果たす義務的性格を有する権利であることを基点として、研修参加に係る環境を整え、助言指導を行うことが重要であると考えられている(平原春好『教育行政学』(1993,東京大学出版会,210p)。

研修の種類

研修の種類は、概ね次の3種である。この区分自体は、行政職のそれと大きく異なるものではない。

命令研修校長の命令に基づき参加するもの。 公務として対応。旅費支給、公務災害の対象。命令であるので拒否できない。
職免研修当該教職員の職務上有益と判断される研修に参加するもの。 職務専念義務免除で対応。
自主研修当該教職員の判断で勤務時間外に参加するもの。 勤務時間と重なる場合は、年次休暇で対応。
平原(1993)217pより作成

どの研修とするか

何が問題か

どのような研修が職務であり、つまり「命令研修」となるのか。これは、教育委員会ではなく、現場の運営を任せられた校長の裁量によると考えていいだろう。では、研修の種類を考えることは、何故必要なのか。

多くの自治体は、複数の学校を設置している。その学校ごとに「命令研修」の範囲に差異があるのはどうだろうか?

例えば、同じ研修に、A市X小学校教員Qは公務として参加し、A市Y中学校教員Pは職免で参加したとしよう。ここで運悪く研修会場で地震に遭ったり、火事があったり、あるいはトラックが突っ込んで来たらどうか。そして不幸にもQとPが怪我をしたらどうだろうか。Qは公務災害で、Pは私災害となるのか。これが妥当なのか。

この架空の事例から得る教訓は、「自治体の教育委員会としては、原則は各校長の裁量と考えつつ、各学校において、ある程度の目線合わせの指針を提示することが必要ではないか」ということだ。

法22条と判例

これを考えるにあたり、法22条を参考にする。

(研修の機会)
第二十二条 教育公務員には、研修を受ける機会が与えられなければならない。
2 教員は、授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。
3 教育公務員は、任命権者(…)の定めるところにより、現職のままで、長期にわたる研修を受けることができる。

教育公務員特例法(昭和24年法律第1号)

ここで、教育公務員のうち教員については、勤務場所を離れて研修を受けるためには本属長(校長)の承認が要件となる。この承認については、「校務運営上の支障、当該研修の社会的評価および態様、場所、参加の相当性等の諸事情を比較衡量して決める」とされている(札幌高裁判決昭和52.2.10)。この条文は、教育公務員のうち「教員」の研修をめぐるものであり、教員以外の教育公務員(校長や事務員)とは別に考える必要もあろう。また、前項で問題とした事例に直接適用して解決が実現するような条文でもない。

しかしながら、ここで示された判例の視点は、研修に際し「それを職務として扱うか、私的な研修として扱うか」を考えるにあたり、整理するために有益だろう。

まとめ

教育公務員の研修には3種類ある。このうち、個別の研修をどの区分に当てはめるかは、現場を預かる校長の裁量だ。
とはいえ、実際の運用に学校ごとの甘い辛いが極端であれば、場合によって教育公務員に不利益があるだろう。

そこで、教育委員会としては、ある程度の目線合わせが必要になる訳である。
その際、整理の軸は、以下のとおりである。

  • 校務運営上の支障
  • 当該研修の社会的評価
  • 当該研修の態様
  • 当該研修の場所
  • 当該研修の参加の相当性
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成年後見契約

保佐、補助の代理権

保佐人に代理権を与える審判は申立てにより、本人以外の申立ての場合は、審判につき本人の同意が必要である(876条の4)。補助についても準用される(876条の9)

市長の申立て

民法に制限能力者に関する申立ての権限者が規定される。しかし、他に高齢者虐待防止法、老人福祉法、知的障害法、精神福祉法などにより、やむを得ず福祉を図る必要があれば、市長が申立てすることができる。
平成27年では、16.4%が市町村長の申立てである。

裁判所が後見人を選任する制度を法定後見ともいう。

任意後見契約

任意後見契約に関する法律による。
本人が判断能力が正常であるうちに、将来、自分の判断能力が不十分になった場合に備えて、予め特定人に生活や看護、財産管理の代理権を与える契約を締結することが可能になった。公証人による公正証書が求められる。

後見人は、この契約だけでは代理行為はできない。本人の判断能力が不十分になり、本人や後見人の申立てにより、家裁が任意後見人監督人を選任し、そのときはじめて、任意後見人として事務を行うことができるようになるのである。

代理権の範囲は無制限ではなく、任意後見契約の締結時に「代理権目録」を作成し、その範囲内に限られるという制度設計になっている。

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戦争の違法化と正戦論

国際法における戦争の違法化と、政治学における正戦論に関する研究ノート

■「正戦」とは~戦争の違法化まで

中世~近代、キリスト教との関係で「正戦」が議論になった。「すべて隣人を愛せ」とする教義と戦争は両立するのかという議論である。では、神の前でも罪にならない戦争、つまり「正戦」というものはあるのだろうか。歴史上、正戦因は多様であった。18世紀、戦争は、確かに目の前に在る現実であった。しかし19世紀に入ると、従来の正戦論は維持できなくなる。何故なら「主権国家」という思想が確立し、各国家の上位に位置する権力を観念できないことが明らかになったからである。この中にあっても論者によっては、「正戦」はあるとする考え方を維持する者、自由な交戦権を認める者などがおり、議論が重ねられた。しかし「一旦始まった戦争には、守るべきルールがあるだろう」という点では、見解は一致していた。

1919年に締結された国際連盟規約で戦争は違法とされたものの、このシステムは実効性を欠いた。1928年には米仏二か国の条約が拡大し、いわゆる「不戦条約」となった。この条約は自衛権の範囲が不明確であり、また―言葉遊びのようであるが―「戦争」未満の武力行為があり得た。「満州”事変”」がまさにそれである。

凄惨を極めた第二次大戦後、1945年には国際連合憲章において「武力行使」の一切を厳に慎む旨が規定された。「武力行使」という定義は、「戦争」と「事変」の間で線引きすることなく、広く網を掛けることを念頭に置いたものである。この規定は、「条約」を超え、こんにちでは慣習国際法と言ってよい。また違法とされた武力行使には、複数の例外が規定された点が重要であり、この解釈が現代的な課題となっている。すなわち例外の規定とは、例えば、自衛権(51条)、国連による軍事的措置(42条)、旧敵国への措置(53条)であり、自衛権をめぐる論点とは、以下の2つである。

  1. 必要性と均衡の要件
  2. 「武力攻撃」が現実の攻撃か。脅威がある段階で自衛してよいかという先制自衛の議論

■2つの「正しさ」~正戦論

条約において戦争が違法であるということが規定された。であれば、世界から戦争は一切無くなっただろうか。そうではない。直近ではロシアとウクライナの武力紛争は戦争と言ってよい規模になっているし、第二次大戦後の現代史の中でも「戦争」と名を冠する事件は数多い。

現実として起きてしまう戦争。そこに「正しさ」というものはあるだろうか。政治学では「正戦論」という分野で論じられるところである。そこでは2つの「正しさ」が議論になる。もっとも、「正戦論は、戦争をトピックごとに整理し、議論しやすくするツールであり、戦争の正しさについて、すっきりさせるものではない」(大庭弘嗣)

(1)ユス・アド・ベルム(Jus ad bellum)

戦争を始める際の正しさをいうという。その着眼点は、次の6つだ。

  1.  正しい理由「戦争を始める理由は、侵略などの不正に対抗するものであるべきである」
  2.  正統な機関「国連や国家による正統な権限の行使でなければならないである」
  3.  正しい意図「戦争を始めた目的が正しくても、その継続が不正であってはならない」
  4.  最終手段「戦争が、唯一の手段であったこと」
  5.  成功の合理的見込み
  6.  比例性開戦の際の利益が、戦争の結果として生じる害悪(破壊殺戮)と釣り合っていなければならない」

(2)ユス・イン・ベロ(Jus in bello)

戦時中の戦闘行為の正しさをいうという。その着眼点は、次の2つである。

  1.  戦闘員と非戦闘員の区別
  2.  (ミクロの)比例性

ロシアとウクライナについては…

今回の戦争でロシアは、「人道回廊」に地雷を設けたり、民間施設に爆撃したり、チェルノブイリ原発を攻撃したという。戦闘員と非戦闘員の区別をしていないという点で、ユス・イン・ベロのレベルで批判に値するだろう。他方で、ウクライナの市民が火炎瓶を投げて攻撃するという事実もあったようだ。国を守るために立ち上がった市民といえば目頭が熱くなるが、ロシアからすれば、「戦闘員と非戦闘員の区別ができないじゃないか」「少なくとも火炎瓶を投げてきたのは、実質的な戦闘員じゃないか」と批判することもできるのではないか。たとえば、ハーグ陸戦規則では、一定期間武器を携帯する民兵、義勇兵を含んで、戦闘員と定義しており(1977第1追加議定書)、必ずしも職業軍人に限られないと読むことができるだろう。

■伝統主義者と修正主義者

ウクライナから見れば、何の落ち度もないのにロシアが一方的に侵略してきた。これは納得できない。納得できない。祖国を守る必要がある。

ならば、その手段は無制限だろうか?

実際のところは知らないし、決してロシアを支持するわけではない。しかし、もし、同じような状況に陥った小国があったとしよう。ここで、たとえば民間人の恰好をした戦闘員や暗殺者を敵国に「避難」の名目で送り込むような策は許されるのか?あるいは、先に手を出されたら、過剰防衛ともいえる兵器を用いことはいいのか?ドローン爆弾の暗殺はどうか?この議論は、正戦論の中では、伝統主義者と修正主義者という枠組みで議論されるという。

(1)伝統主義者

第1が伝統主義者である。彼らはユス・アド・ベルムとユス・イン・ベロを独立のものと考える。なので、戦争の始まりの「正しさ」の議論とは別に、戦闘行為においては、当事者双方の兵士にユス・イン・ベロの規制が及ぶ。そうすると、先に仮定した過剰防衛は、やりすぎという結論に至るだろう。

(2)修正主義者

第2は修正主義者である。ユス・アド・ベルムとユス・イン・ベロを連鎖的に捉える。ユス・アド・ベルムにおいて不正な戦争に参加する兵士は、道徳的に劣るという。何故なら彼らは「不正な目的」のために戦っているからである。これを進めて考えると、不正のために戦う兵士は、正しい目的のために戦う兵士に対して暴力をなすことは許されない。逆に、正義のために戦う兵士の暴力は許容され得る。そうすると、先に仮定した過剰防衛は、許容される余地があろう。

■まとめ

戦争は国際法上違法である。しかし、条約は現実の戦争を必ずしも抑止しない。

マイケル・ウォルツァーは、「正義は軍事的な必須条件になった」といったそうだ。近時では、どんな戦争でも、それなりの建前を用意するだろう。そうすると竹を割ったように「正義と不正義」みたいな整理はできない。その中にあっては珍しく、今回のロシアは、国際世論への配慮が雑だったのではないかと思う。

いずれにせよ、我々は過去の凄惨な歴史の積み上げから、戦争に対して学問的にアプローチする複数の手段を手にしている。願わくは、これらの成果により、次代の戦争が減っていけばよいのだが。

■参考文献

  • 柳原正治『国際法』(放送大学教育振興会,2017)
  • 矢持力「正戦論の二大潮流の衝突 : 〈比例性〉の原則をめぐる論争」社会システム研究 (21), 69-80, 2018-03
  • 杉浦功一=大庭弘継『銀河英雄伝説に学ぶ政治学』(亜紀書房,2019)
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YouTubeが国際政治に与えた影響

放送大学『現代の国際政治』で作成したレポートが元ネタ。教科書が2013年版であるし、レポート作成が2017年なので、YouTubeの事情も随分変化しているとは思うが。

問題の所在

YouTubeは広く利用される動画投稿サイトである。誰でも比較的容易に動画を投稿することができ、その動画が全世界に向けて公開されるという特徴がある。では、このYouTubeをはじめとする動画投稿サイトは、国際政治にどのような影響を与えているだろうか。

国際政治への影響

この媒体が俄かに注目を集めたのは2010年のことである。仙閣諸島中国漁船衝突事故の映像が海上保安庁職員の一色正春氏によりYouTubeを介して公開されたのだ。我が国の政府は、当初この事故について「外交上の配慮」なる理由で当該映像を公表しないという方針であったとされるが、YouTubeへ映像が公開されたことにより事実を認めざるを得なくなった。つまり、この事件(あるいはこの媒体)は、次の2点において、国際政治に影響を与えたということができるだろう。

  1. YouTubeがなかったのであれば表に出なかったと思われる事実が明らかになったという点
  2. 政府が当初の外交上の方針を転換して事実として認めた点

アラブの春

このような特徴が国際政治の場で影響を与えた例として、2010年代の「アラブの春」と呼ばれる一連の民主化運動を例に挙げることができる。

従前、権威主義体制の下に置かれたアラブ諸国では既存のメディアは厳しい検閲に晒され、「政権にとって都合のよい情報」のみを発信してきた。このような状況の中で、チュニジアで地元政府への抗議の意を示すため青年が焼身自殺し、その映像が動画共有サイトに投稿される事件があった。この映像を契機に、次第に警察や軍隊による拷問や人権蹂躙の様子といった政府の検閲を受けない赤裸々な事実が動画共有サイトなどに投稿されはじめた。これらの動画は、視覚に訴求するメッセージであった。抗議運動につながる端緒となり、最終的にはチュニジア、エジプト、シリア等へ飛び火し、「アラブの春」と呼ばれる一連の運動に繋がった。

もっとも、2011年当時のチュニジアにおけるインターネット普及率が39.1%であったことをふまえれば、動画共有サイトが一連の運動への流れに決定的な影響を与えたと言い切ることは難しいという点は留意しなければならない。アラブの春においては、アルジャジーラという衛星放送が大きな役割を果たした。同局のエジプトに向けた放送内容と、バーレーンに向けた抑圧的な放送内容を比較すれば、ダブルスタンダードといってよい差異があり、つまり、同局はバイアスを有して報道していた。革命の機運が飛び火した国々と照らし合わせたとき、同局の担った役割が浮き彫りにされるところがある。

結論

以上の例が示すとおり、YouTubeをはじめとする動画共有サイトは、いずれも「従来であれば権力者により隠されてきたはずの情報を伝える」という特筆すべき役割を果たした。しかも、そのメッセージの形式は文字や文章ではなく動画であることから、直感的で大きなインパクトを伴う高い訴求力があるという特徴がある。これらの特徴から国際政治おいて注目すべき影響と効果を挙げており、今後、ますます目が離せない媒体の1つである。

参考として「マルチチュード」

アラブの春を議論する際、よく「マルチチュード」という言葉を目にする。これはアントニオ・ネグリとハートと共著『マルチチュード』による。

9.11を予言するものと評価された『<帝国>』のの続編であり
、彼らが現代における革命的な主体と考えるのは、従来の「プロレタリアート」ではなく、統一化されることのない複数の多様な「マルチチュード」(多数性・群集性)であるという議論である。彼らは国境を超えたネットワーク状の「帝国」がグローバリゼーションを通じて形成されていくと同時に、従来の国民国家を乗り越えるグローバル民主主義を推進する主体としてマルチチュードの登場を予見した。 『マルチチュード』で、現代世界における戦争状態を分析し、それがいかに民主主義を脅かすようになったか明らかにする。

■参考文献

  • 高橋和夫『現代の国際政治」(放送大学出版会,2013)
  • 岡村裕一朗『本当にわかる現代思想』188頁
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学士(社会科学)取得の動機

概要

(独)大学改革支援・学位授与機構を利用した学位取得2つ目は、2019年春の申請。「学士(社会科学)」であった。書いた学修レポートは、自治体の補助金についての批判的考察。出来はお世辞にも良いとは言えないものであった。

動機

30代後半になった頃から、「学際性」というものに興味を持ち始めていた。影響を受けたのは、大澤真幸氏か。その著作は、学問分野を問わない引用・考察から独自の見解を説くものが多く、非常に新鮮だった。

その頃、本屋さんは、「リベラルアーツ」みたいな標題の本、教養本が増え始めていた。

若い頃は「法律家」みたいな一点突破、専門家、スペシャリストという生き方を目指していた。しかし、

  1. 40がらみのオッサンになってみて記憶力が覚束なくなった。
  2. パソコンやスマホの普及で、専門家でなくても専門知識を調べやすくなった。

そうすると、僕が、ある1つの分野の専門知識を突き詰め、中途半端な専門家を気取ってみても、僕が諳んじている程度の知識では、目の前で若者がスマホを駆使してネットから拾ってくる専門知識の情報量には勝てないのではないかと思うようになったのだ。

1つの分野に特化しても、ネットの情報量に勝てないならば、複数の分野の知識を横断的・有機的・総合的に活用できるスキルを学びたいとか思うようになった。

非常に単純だが、これが学際的な分野に手を出した動機である。

とはいえ…

若い頃の野望の残滓もある。浅く広い中途半端なゼネラリストというのは、僕は好みではない。なので、1つは自分の中で核みたいな分野をもちつつ、その周辺知識を裾野のように広げたいという感じなのだ。

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